【魔術は】魔法使いになるには信じるだけでいい【宗教】

ぼんごれ

今回は魔法と宗教について深く考えよう。
お坊さんの話を疑う人は誰一人いない。魔術も同じことなんだ。
魔を信仰して信じるだけでいい。そしたら魔術なんて無意識に使えてるはずさw。

samu_classroom

まず、魔法の使い手の呼び名を定義したほうが良いと思うんだ。
魔法使いの名前なんて、そりゃゲームごとに違ってくるし、独自の名前を作りたくなるはず。
でも、言い方がまちまちにならないように、魔法の使い手の呼び名に一区切りつけておきたい。
今回もウィキペを参考にして、自分なりに魔法を整理しておきたいんだ。

魔法使い(魔術使い)を知るには魔法(魔術)を理解しなければならない。
魔法(魔術)を知るには魔を理解しなければならない。
魔を知るには対極にある仏(ほとけ)を理解する必要がある。ついでに神も理解しよう。

魔法使いの呼び方の違い


導師とは人の行く道を見定め、導く者。師が付くので師匠だ。人生の先輩、老人がイメージ。
導士とはまだ導師になれない修行中の身の者。導師よりも若い。30~40代くらいの人物。
道師(術師)とはまだ道士以上導士未満の者。上の導士との区別は曖昧。
道士(術士)とは人を導くには未熟な、己の道の探求者。導士よりも格下。10~20代の若者。
これが魔法使いの呼び方の定義だと思う。基本的にはこうやって書き分けらrている。

仏教の場合は宗派にもよるけど、基本的には軍人の階級と同じで、
二等兵の無位から修行入位、修行住位、修行満位、修行法師位、修行大法師位、
権律師、律師(中律師)、大律師、権少僧都、少僧都、権大僧都、大僧都、権僧正、僧正、
最後に大将である大僧正となる。

一番低い将校、尉官が律師(りっし)だ。佐官が僧都(そうづ)、将官が僧正(そうじょう)。

次に、仏教の教えに導く為に使われるのが仏法で秩序であり、
魔の教えに導く為に使われるのが魔法で混沌なんだ。

魔法を使う・魔法の教えを実行するってのはどんな時か。
これは整っていることを壊すこと。バラバラにすること。まじりあって整理がつかなくすること。
これが混沌でカオスってことなんだ。

では、仏法を使う・仏法の教えを実行するのはどういうことか。
物事の順序を正して整理し、筋道を立てること。決まりを守ること。整った状態にする。
これが秩序でローってことなんだ。

豆。Lawをネイティブ発音すると、ローではなくラーとなる。ラー。ラーと言えば鏡だ。
つまり、ラーの鏡は秩序を整える鏡。それが真実を映す鏡というわけ。

法学 魔と仏


魔法の前に仏法(ぶっぽう)あり。魔と対をなすのが仏(ほとけ)なんだ。
魔と仏は一心同体の場合もあり、全く別の場合もある。
これについてどうこう言いたいわけじゃない。

俺が言いたいのは法学なんだよ。法の使い方。
法学は簡単に言ってしまえば、生き方のマニュアルだ。
これを体系化したのが法律になる。じゃ、誰が法学をまとめ上げたのか。
古い昔は王。現代では民衆であり立法府、つまり議会だ。

術は法に則った、より現実的で実効的なやり方。術(すべ)だね。技術とかは技の術だ。
術よりも先に法があるはず。その法、法学を整理しなければ、魔法も仏法も理解できない。

魔が法学を使役すれば、魔法。魔は人なのか。俺は人だと思う。
魔の源泉は人なんだ。その魔法の実践的な使い方や技を魔術と言うはずだ。
魔法と魔術の区別を簡単に言えば、魔法は六法全書とその中の文言。魔術はその効果。
魔術使いは、その文言から発生する効果を使って人を弁護したり、検証したりする
弁護士や検事のこと。
語呂が悪いから魔術使いでなく、魔法使いと呼んでいる。

結果的に魔術使いは、人が作った魔法書の文言から発動する魔法の効果を
利用することから、単純に魔法使いと言っても同じことなんだ。
ただ、ただの個人である魔法使いは、魔法書を作ることはできない。
弁護士は法律を作れないのと同じこと。
魔法議会というか魔法院とかの、民衆から選ばれた人が集まって魔法書を作るはずだ。
若干の違いはあるけど、深く考えればこういうことになってるんだと思うぜ。

ブッダも人で仏だ。
上の魔法と六法全書の例にならえば、六法全書と文言は仏法や経典、真理やお経だ。
その効果は教法、説教、説法。この効果を表す人を、僧(僧侶)やお坊さんだ。

まとめ。
六法全書と文言
┣魔法書、魔法
┗真理や経典、仏法やお経
表す効果
┣魔術
┗教法、説教、説法
効果を使う人
┣魔術使い(魔法使い)
┗僧(僧侶)やお坊さん
効果を受けると
┣混沌、カオス、バラバラになる
┗秩序、ロー、整う

仏(ほとけ)と魔の線引き


仏と魔はハッキリ分かれているのか。俺はそうじゃないと思う。
仏の中にも魔はあり、魔の中にも仏はあるはずだ。

いくら高位の僧侶と言えども、基本は人間。人間の欲を削ぎ落とすのが修行であり精進だ。
その僧でも知識欲や昇進欲はあるはず。じゃなければ高位の僧にはなれない。

欲とは魔だな。俺はそう思う。どれほど偉い人でも欲を無くすことはできないはず。
じゃ、人から欲が無くなるときはどんな時か。死んだ時だろう。つまりカオス(混沌)の時。
人が亡くなれば周りは混乱し、多少なりともバラバラになり、生活に支障をきたす。
魂が肉体を持つ限り、人は欲(魔)を持つ。その欲を出来る限り小さくするのが修行と精進だ。
決して欲を無くすことはできない。そう思う。

じゃ、魔が仏(仏心)を持つときはどんな時か。仲間に生き返ってほしいと願う時だろう。
魔者だって社会があるはず。魔者たった一人じゃ何もできない。某世紀末でも仲間が沢山いた。
そんな時は魔者でも秩序が必要になる。魔者として生きる上でも秩序立った行動や、
仲間、命令を下す司令官がいなくては、存続が危うくなる。それがロー(秩序)だ。

つまり、魔も仏もハッキリした線引きはできないんだ。生きとし生けるものには
魔も仏も両方内包しているってことだな。人間そのものだ。動物の場合は本能だけどさ。
ある程度の知能や感情がないと、魔や仏は感じないってことか。

閻魔様も魔だ。魔を裁くためには自分自信も魔に居なくては、人の欲である魔を知り、
魔から出た行為である業(ごう)を裁くことはできないはずだ。

仏と魔と神


人には魔の感情も仏の感情も両方持ち合わせている。
それが単純に良いことをすれば仏なのか、悪いことをすれば魔なのか、
その区別はつけられないはずだ。「心を鬼にして」や「魔が差す」とかあるし。
人の感情や、、、人なんてね、そんな簡単なものじゃないんだ。
悩みもすりゃ妖しい時もある。その瞬間にどう考え、どう判断したかで
周りの人からの見方が変わる。


一人〇せば悪人だが、大勢〇せば英雄だ!なんて言われるが、それは間違っている。
一人だろうが大勢だろうが、全部同じ犯罪者だ。

それが解らなくなるくらい、人間の意識なんてものは曖昧で、周りに左右されやすい。
そんな不安定な人間を、仏の教えに導く為に使われるのが仏法であり、
魔の教えに導く為に使われるのが魔法なんだ。


だから仏法も魔法も、意識・無意識に関わらず、人が行動を起こした結果なんだ。
その結果から仏法を使ったとか、魔法を使ったと言うんだ。と思うよ。

「仏法を使った」てのが秩序を守ることだったり、法律を守ることになる。
そこから転じて、良い行いをしたってことになるんだと思う。
「魔法を使った」てのは人を惑わすことや、迷惑をかけること。災いをもたらすこと。
それが転じて、悪い行いをしたってことだな。

だから、魔法=悪ではなく、仏法=善じゃない。あくまでも結果論なんだよ。

ただ、この世の中では善が至上主義だ。善は良いことだという社会なだけ。性善説。
某世紀末の世の中では反対に、悪が至上主義で悪が良い社会になっている。
(汚物は消毒だ~)
性善説の反対は性悪説。性悪説とは、人間は最初から弱い存在であり、
生まれながらにして悪を持っている。犯罪や悪事に手を染めるのが人間だ。という考え方。

性悪説が上位だという社会なら、悪は良いことだという世の中になる。
簡単に言えば、性善説至上主義者が警察や弁護士、坊さん、裁判官など。
性悪説至上主義者がマフィア、ヤ〇ザ、ならず者、山賊など。


神様は日本の場合、人ならざるものだから、法ではなく道になる。神道だ。
神様は仏教やキリスト教の伝来よりも、遥か昔から日本に根付いた信仰だ。
「あそこに神様がいそう」や「お天道様、どうか雨を降らせてください」と意識した瞬間から、
人の心の中に神はいるんだ。他人に左右されない、自分だけの神。
それが大勢の人と共感したから、神の宗教、神道が生まれたんだと思う。

だが、魔神となると意味が違ってくる。人じゃないけど、人に近い何か。
神は人の場合もあるのか?俺は物や現象だと思うんだけどさ。
それが魔神となると、、、違うぞ!仏神(ぶっしん)はいるじゃないか!

仏の神。それが仏像や彫刻だ。
今じゃ神と仏が混ざっちゃってるから見分けがつかないけど、仁王(金剛力士)や
菩薩、毘沙門天、増長天、達磨など、全部仏像だ。

てことは、魔神も仏像なのか。ハイ正解。仏像です。
インド神話の破壊の神、シヴァ。戦いの神、アシュラ(元々は仏神)などで仏像だ。
魔像と言うかどうかはわからない。仏教的には無いだろうね。
でもゲーム的に考えれば魔像は有りだ!魔の最高神。かっこいいぜ。

まとめ。
信じるもの
┣神
┃┗仏(仏像・仁王(金剛力士)や菩薩、毘沙門天、増長天、達磨など)
┃ ┗仏教徒・仏法使い=お坊さん・ロー
┗魔神
 ┗魔(魔像・インド神話の破壊の神、シヴァ。戦いの神、アシュラなど)
  ┗魔教徒・魔法使い・カオス

魔術使いはすべて、魔教徒である!
魔法は宗教的側面が薄いから、独立して考えがちだ。
しかし、魔法書は魔教の教本の中の一部であり、魔術使いは魔教徒の一部のはず。

魔法や魔術使いは単独で考えるのではなく、魔教の信者から来てる。
これは魔法や魔術使い(魔法使い)が魔教から離れて独り歩きしているから、
一般的には間違って理解されて、独立して意識されがちなんだ。

つまり、仏教のシステムと同様に、魔法書や魔術使いは魔の宗教だ。


俺は日本人だし、西洋の神について良く知らないし、ギリシャ神話とかも良くわからない。
キリスト教の神はキリスト。人だ。ま、人工的に作られた宗教だし、新参だしどうでもいいw。
その俺から法学を調べて、そこから仏法や魔法、神様を調べていくと、こういうことになりました。
難しいねw。難しいよ。ブラウザバックした人挙手!w。

ここまで見ていただき、ありがとうございます。
お疲れ様でした。
関連記事
Posted byぼんごれ

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply