陸奥の国の忍者組織 南部と津軽の争いの火種は津軽為信の謀反だった

ぼんごれ

忍者クエでも書こうか。忍者ねー、そもそもギルドって日本語だと組合?
グーグルの翻訳だとギルドはギルドなんだけど、さすがに中世日本でギルドはないわ。
それに、忍者組合ってさ、暗殺集団なのに組合はない。それでちょっと調べた。

織田信長の忍者は、饗談(きょうだん)、
武田信玄の忍者は、乱波(らっぱ)、
豊臣秀吉の忍者は、木陰衆(こかげしゅう)
上杉謙信の忍者は、軒猿(のきざる)、
伊達正宗の忍者は、黒脛巾組(くろはばきぐみ)
って各々呼ばれていたらしい。

基本的に忍者を呼ぶときは、忍(しのび)、透波(すっぱ)、斥候(うかみ)、と言う名前がある。

黒脛巾組と同様に、青森の(津軽藩の)忍者は、早道の者(はやみちのもの)
南部藩の忍者の呼び方は、間盗役(かんとうやく)というらしい。

津軽為信の忍者は、早道の者(はやみちのもの)
南部晴政の忍者は、間盗役(かんとうやく)

つまり、津軽藩には早道の者、南部藩には間盗役と言われる忍者集団がいた。
忍者がいるということは、武将や大名など、土地を治める誰かに使えていたはず。
その武将の名前は、津軽藩は津軽為信(つがる ためのぶ 元・大浦為信)、
南部藩は南部晴政(なんぶはるまさ 南部家当主)さんとの争い。

この二人は超重要人物になる可能性が高いので、良ければ覚えておいてください。
そこに仕える忍者が、南部氏は間盗役大浦氏は早道の者がいる。

それにしても、この津軽為信って人が凄い人なんだw。面白エピソード満載!
大浦(津軽)為信さんは元々南部さんの家系の人だったんだけど、
謀反を起こして津軽一帯を取っちゃった。

強引なやり方で自分の領土にしちゃったんだ。
詳しくは『斬新なRPG 舞台を青森にした理由と今の状況。シリーズの基礎の話』を見てください。
南部家は元々源氏の家系で、歴史を遡れば源頼義(みなもとのよりよし)って人に当たる。
源氏と言えば頼朝・義経でしょ!そんな超有名人を子孫に持つ南部家は名家だ。

源氏一門は元々が武門の棟梁で、ファイナルファンタジータクティクスのベオルブ家と似てる。
名家中の名家で貴族だね。高貴な身分の家系。

南部家始祖の源頼義は、弓の達人で凄い人。その子孫の南部一族は源氏の家系で、
武勲に優れた血筋を持ち、領土を広く持つ貴族。だから大浦さんが謀反を起こす前は、
青森から岩手にかけての一帯全部を領土に持ってたんだ。

てことは津軽藩と南部藩の争いではなく、元々は南部藩の内部抗争が、
果ては藩が2つに分かれる始まりだったってことか。
で、ここから大浦(津軽)為信さんの、ある意味強引すぎるサクセスストーリーが始まる。

きたない手を使ってでも、強引だと言われても、目的を成し遂げるまで一歩も引かない。
大浦為信は絶対に手を緩めない人。そしてついに謀反を起こす。

元亀2年(1571年)5月、大浦為信さんは居城の堀越城から2~3キロ離れている、
同族の南部家の石川高信さんの居城である石川城を突如攻略。負けた石川さんは自害。
この時大浦為信22歳。

平城(ひらじろ)といって、お堀や天守閣は無く、どデカい農家の家とか砦に近い。
豪華な城を作っても火をつけられたら一晩で燃え尽きちゃう。
そういうこともあって、地味でどデカい家の拡張版を平城と言う。
派手な見栄えのする天守閣のある城は、まだまだ先のことなんだ。

この時、城攻めで集められた兵士の中に、近隣から寄せ集められたならず者が
83人も混じってた。ならず者たちは兵士としてではなく、城下の婦女子を襲い、
乱暴の限りを尽くした。だから石川城の兵士たちは戦いどころではない。

愛する家族が目の前で襲われてるのに、戦どころではない。
この時に南部氏24代当主、南部晴政は同族の石川城城主の南部家・石川高信の子、石川信直と
戦争中で、南部家と石川家の内部争いの最中だった。

これを良い事に、大浦為信は兵士本隊を石川城に送り込み、混乱状態の石川城を
簡単に攻めて、石川信直の親で石川高信を易々と自害に追い込むことが出来た。
大浦為信恐るべし!その兵法は次回。

次回:津軽為信の人物像 兵法の達人で目的のためなら手段を選ばない人
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